風水で天皇家のお墓の秘密を探ります!

風水


先日は、私の風水の師匠と門人の方々が、当社の近くにある武蔵野陵と霊園で陰宅(お墓)風水の現場研修をするということで、八王子に来られました。



当日は私も一緒に同行して改めて陰宅風水を学ばせてもらいました。
全国から門人たちも集まっての研修となります。

武蔵野陵は八王子市にある大正天皇と昭和天皇が祀られている場所となります。



天皇家のお墓というと、大阪府堺市の仁徳天皇陵が有名ですが、この武蔵野陵も大変広大な敷地にあり、森の中を歩いていると陰生気のパワーを受ける素晴らしい場所です。




広大な敷地には大正天皇と皇后、昭和天皇と皇后で計四つのお墓があります。
お墓自体も、大変大きく見上げるような上円下方墳になっています。

風水でどの方位に向いているかという坐向調査をするわけですが、大変興味深い結果がわかりました。

まず、大正天皇と皇后のお墓は、風水で言う方位を64方位で測ると坐:地雷復、向:天風姤となり、お二人とも北を背にして南を向いています。
お二人の向きは全く同じ向きとなっているのです。



次に、昭和天皇と皇后のお墓を見てみます。
昭和天皇は坐:坤為地、向:乾為天で同じく北を背にして南を向いています。
しかし、皇后のお墓を測ると不思議なことに坐:天雷无妄、向:地風升で、東北を坐にして西南を向いています。




基本的には昭和天皇と同じ方位にしていると思ったのですが、何故か違います。

門人の方々はこの方位が何故違うのか理由を考えていたのですが、はっきりした答えが出てきませんでした。
確かに、この向きのおかげで、皇后墓が昭和天皇墓に寄り添うような形になり違和感はありませんが。

そこで、師匠が隠された秘密を教えてくれました。

「それは埋葬する日、お墓、皇后の三角関係が鍵となるのです!」

師匠の話をわかりやすく説明すると、風水では、吉方位に向けることはもちろんなのですが、埋葬する日も大変重要なことと判断します。

三方口訣といって、「日にち」が造営されたお墓と皇后の生年を守る日を選ばなければなりません。
せっかく風水でいいお墓を造っても悪い日に物事を行うと長期間スムーズに事が運ばなくなることがあります。

そこを頭の中に入れたうえで、皇后の葬儀が行われた日を注目していくわけです。

2000年7月25日

実はこの年をよく見てみると、この年の五黄殺は北にあったわけです。
本当ならば、昭和天皇と同じ北を背にしたかったはずですが、そうしてしまうと五黄殺になってしまいます。

五黄殺は凶の中でも大変強力であらゆる災いが降りかかると言われている方位です。

宮内庁の風水を携わっていた関係者は相当悩んだのでしょうね。

年をずらす訳にもいかない、かと言って北に向けてしまったら天皇家の将来を考えるとそれもできないと。

最終的な結論として、天皇家のお墓を五黄殺に背を向けることは絶対に出来ないという判断から、少しずらして東北方位を背にしたということです。

そして東北方位の中でも更に細かく「天雷无妄」という方位に向けて、墓坐と皇后生年が金剋木の剋入の吉関係を作っています。

更にもっとすごいことは、「天雷无妄」の卦氣は9であり、昭和天皇の「坤為地」の卦氣は1だということです。
9と1は足して10となるのですが、風水では合十は最高の関係と言われ、陰陽配合が整った素晴らしい関係となります。

昭和天皇と皇后の仲睦まじい夫婦関係を陰陽でもって永久に続くようにと願いを込めて造営されたのでしょうね。


天皇家の繁栄と日本ならびに日本国民の幸せを願って、このようなお墓造営と澤日をしていることが理解できることは、日本人として誇りに思う次第です。

これが天皇家のお墓の隠された秘密ということです。

全てが緻密な計算によって事が運ばれているということです。

ちなみに他の3人の葬儀の年(1927年、1951年、1989年)の北は五黄殺、歳破、三殺どれも凶方位ではありません。

まったくすごいことですね。

天皇家は幾多の困難を乗り越えて、栄え続ける世界でも稀有な家系です。
栄え続ける理由として色々な理由があるのでしょうが、そのひとつには、こうした風水で自然法則を活用して最大限に環境を守り続けることではないでしょうか。

私たちも天皇家ほどは出来ないにしても、できうる限り自然法則に則る土地や建物で過ごしていくことが必要だと深く感じる日でもありました。


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